吉田 栄作(よしだ えいさく、1969年1月3日 - )は、日本の俳優、歌手。神奈川県出身。身長182cm、体重72kg。血液型はA型。フリー。元妻はモデルの平子理沙。 若い時はツッパリで有名。ナベプロに入っても、先輩の中山秀征とは初めのころは口も利かなかったが、たまたま飛行機で一緒になり、矢沢永 31キロバイト (2,993 語) - 2020年8月7日 (金) 11:15 |
アーティストの坂本美雨がお届けするTOKYO FM「坂本美雨のディアフレンズ」。9月22日(火・祝)の放送は、俳優・吉田栄作さんがゲストに登場。ロサンゼルス滞在時代の思い出について語ってくれました。
坂本:吉田栄作さんは1988年に俳優デビューを果たしまして、1989年にドラマ「君の瞳に恋してる!」に出演されて話題になりました。1989年には歌手デビューもなさっていて、俳優だけでなく歌手としても成功されていまして、ツアーでは動員数が2万人を記録しました。しかし、そのツアーを終えられた直後にロサンゼルスに渡られました。当時、26歳だったのですね。
吉田:そうですね。1995年だったと思います。
坂本:人気絶頂のタイミングでスパッと新たな道を歩まれたのですね。当時はどういうお気持ちだったのでしょうか。
吉田:実は、僕のなかではスパッとした決断ではなかったんですよ。デビューして4年ぐらい経ったときに、経験とか勉強とかをきちんと踏まずに活動を続けていることに対して悔やんでいたんです。当時の自分は、自身を強く見せるために活動をしていた部分もあったので、22歳ぐらいのときに「どこかのタイミングで休んで、帳尻合わせをしたいな」と思っていたんです。
坂本:22歳で。はやいですね。
吉田:ただ、それでいきなり「明日から休みます」というのは現実的ではないなということもわかっていたんですね。そんなことを考えながら活動をしていくなかで、24歳のときに仕事でロサンゼルスに訪れる機会があったのですが、そのときに「ここに滞在したいな」と思うようになったんです。空気感もいいし、勉強できるし、俳優としての挑戦もできる。心も体も休められそうだなと思ったので、26歳で渡米を決意しました。22歳からの4年間は無駄遣いをせず、渡米の準備資金を貯めていました。
坂本:そうだったんですね。人気絶頂というポジションに溺れることなく、ロサンゼルスに滞在するという決断を下せたのはどうしてだったのでしょうか?
吉田:いつか人気はなくなるものだという思いは持っていたんです。だからこそ、自分の意思で人気を手放したかったんです。
坂本:なるほど。ロサンゼルスに行かれてからは、かなり堅実な生活を送られたとお聞きしました。
吉田:持っていけるお金が1万ドルぐらいだったので、そうせざるを得ない状況でしたね。5,000ドルのジープを買って、所持金がいきなり半分になりました。800ドルの家賃の部屋を借りて、家具はIKEAで買いました。もちろん自分で組み立てましたよ(笑)。
坂本:当時はミュージシャンとして個人的に曲を作られたり、身近なところでライブをされていたのですね。
吉田:徐々にですけどね。活動をしていくうちに、演奏場所を貸してくれたり、一緒に演奏をしてくれるような仲間がだんだんと増えていきました。コンサートという形ではなくて、お酒を飲みながら穏やかな雰囲気で1曲歌うみたいな感じです。海外の有名なアーティストって、仕事とは違う形でそういう演奏をやっていたりするじゃないですか。それがすごくカッコいいなって思ったんですよね。そういった経験も勉強になりました。
坂本:そうだったんですね。栄作さんは2019年にデビュー30周年を迎えました。2019年9月に発売されたアルバム『We Only Live Once』の楽曲は、ほとんど栄作さんが作られたそうです。楽曲のなかには、アメリカ滞在時代のことを歌ったものがあります。「砂漠に車を止めて」はいつ頃作られた曲なのでしょうか。
吉田:26歳のときに車を買ってアパートを借りたときに「あ! ギターがないぞ」と思ったんです(笑)。それで、サンタモニカまで車で向かっていたらギター屋さんを見つけまして、そこで800ドルぐらいのアコースティックギターを買いました。それからは毎日のようにサンタモニカビーチに行って、ギターを弾いていました。
坂本:カッコよすぎます(笑)。
吉田:その経験で生まれた曲もありました。「砂漠に車を止めて」はウエストハリウッドに住んでいた頃、夜中の3時ぐらいに急に思いついて書いた曲です。当時の自分の気持ちをそのまま歌詞にしました。
坂本:たしかに、歌詞というよりは思いのままに綴った文章ですね。
吉田:気づいたら、自分の魂の1部になっている曲になっていたので、大事に歌い続けています。
坂本:「砂漠に車を止めて」と共に、歳を重ねてこられたのですね。
9/24(木) 20:13配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/60de51b66a959d89d1aa9ca02fc7112137ef7f42
(出典 i.imgur.com)
>>1
何ヶ所回って2万なの?
>>1
1995年ってもう人気無かった時じゃね?
とっくに1993年辺りにはトレンディブーム去ってたし
>>12
最初から男人気は無かったけど
演技がクサいと女にも笑われ出して週刊誌でも態度がデカいと叩かれネタだったからな
>>12
確かに
95年頃はもう吉田栄作も下火だった
その頃は福山、堂本兄弟、いしだ壱成、武田真治、トヨエツあたり
そろそろキムタク竹野内とかに移り変わる頃
じゃないかな
まだそんなにモデル上がりの役者は少ない頃でもあった
>>72
武田は1994年辺りまでだが
その他のそこに挙がってる人達は2000年前後も活躍してたぞ
>>1
24才で渡米決意したのに
22才から渡米のために資金を貯めてたって意味が分からん
代表作マネーの虎
22歳からの4年間は既に仕事無くなってたろw
>>4
は?
1993年までは主演しまくりだぞ
>>24
1992年は主演ドラマ1本だけ 映画は出たが既にかなり落ち目
>>6
栄作ルック流行ったよなあ
森脇健児さんとCM出てた時がピークやろなぁ
吉田栄作が何故かOvationのアコギを持ちながらサンシャイン60から池袋の通行人を見下ろして
「ああいう人達みたいになりたくない」
みたいに語るインタビューをガキの時に見た記憶がある
>>27
見た見たww
あの無数の人々の中の一人にはなりたくない、みたいなwww
失礼な奴だよなw
>>27
ああいうちっぽけな人間になりたくないって言ってた。
小さい人間とか大きい人間っていうのは中身の問題で、
遠近法で上から見て小さく見えることではないって言われてたなw
老けたねぇ…
みんな年取るんだね
織田裕二の方が活躍するなんて予想できなかった。
ドッキリで騙されてマジギレしてたの覚えてる
たまにドラマとかで見かけると
良い感じのオヤジになっててカッコいいわ
結局はノーマネーでfinishです!
全く通用しなかったな。
渡辺謙は凄いな
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